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クロアチア写真展 渡部典 ドブロヴニク・ザグレブを歩く 私と クロアチアとの出会いは2002年にさかのぼります。 はじめて見たクロアチアのナイーブ画家ラツコヴィッチの作品は牧歌的でしたが、ギャラリーに置かれた画集を 開いたとき、描かれたペン画のただならぬ雰囲気に衝撃を受けました。大地から何もない空間に落下していく集 落、無数の植物や虫、人の手、頭部・・・。 1991年のソ連崩壊後、クロアチアはスロヴェニアとともにいち早く旧ユーゴスラビアから独立、その後この 地域で起こった紛争がまだ記憶に新しい時期でした。 しかしそれから急速に、日本におけるクロアチアは美しい観光国として知られるようになりました。 今年3月ようやくクロアチア行きが実現しました。短い滞在期間でザグレブには特に心を残す旅でしたが、写真 を見ると異国を歩く高揚感と古都の独特の時間が蘇ります。この旅行の機会をくださったベルクとクロアチア観 光局への、お礼と報告を兼ねて写真展を開催します。 2013年12月 (ベ ルク通信vol.236)
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ドブ
ロヴニク(城壁)
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ザグ
レブ(聖母被昇天大聖堂前)
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クロアチアへの旅 1 2010年夏、ベルクで開催されたクロアチアの画家ラツコヴィッチ展の期 間中、クロアチア政府観光局のアンケートに応募し、往復航空券をいただきました。ようやく念願が叶い、3月にクロア チアに行って来ました。初日にウィーン経由でザグレブから南端の都市ドブロヴニクまで行く予定でしたが、ドブロヴニ ク空港の強風のためスプリットにフライトが変更。夜半から未明にかけて、異国の観光客とともに4時間のバスの旅とな りました。満天の星空の下、バスはうっすらと雪に覆われた山道を走り、寝静まった家々の前を通り、ボスニア・ヘル ツェゴビナの検問を通過し、ようやくドブロヴニクに到着しました。ホテルのベッドに横になる頃には、藍色の夜が明け 始めていました。(ベル ク通信vol.229) クロアチアへの旅 2 ドブロヴニク クロアチアの最南端ドブロヴニクは、アドリア海沿岸屈指の観 光地ですが、 全長約2kmの城壁に囲まれた中世の建築物が残る旧市街には、まだ多くの人たちが住んでいます。細い路地に誘われるように入ると日常生活が垣間見えます。 晴れた日は建物に張り渡された ロープに洗濯物が連なり、嵐の日は観光客が足早に去った通りを、学校帰りの子供たちがはしゃぎながら通り過ぎます。 雨に黒々と濡れた陰影のある街は、呼吸する生きもののように魅力的です。1991年ドブロヴニクは旧 ユーゴの崩壊とクロアチア独立に伴う紛争で、多くの人が亡くなり街は破壊されました。嵐が続 く夜半、旧市街の小さな中庭に佇んでいた高齢の女性を思い出しました。この轟々と吹く風も戦禍を経た彼女には子守唄のようだろうかと。そして明日のザグレ ブ行きの飛行機が飛ぶことを祈りました。(ベ ルク通信vol.230) クロアチアへの旅 3 ザグレブ 旅行の後半、首都ザグレブ滞在は初日の空港での5時間を 除くと48時間にも満たない。移動した距離もミロゴイ墓地以外はホテルから1キロ圏内を歩いただ け。 でもザグレブは印象深い街でした。イェラチッチ広場から細い坂道を上ると、中世の教会と街並みを残 す旧市街、広場か らザグレブ中央駅に向かうと19世紀末の香りを色濃く残す建物と整備された公園。3月の午後、夏のような青空の下を鮮やかなブルーのトラムが走り、果物や 野菜が山積みにされた赤いパラソルのド ラツ広場では、ラツコビッチ氏の絵に出てくるような農家のおばさんにも出会いました。街で食事する人たちはよくしゃべり親密な挨拶を交わしていました。 12月、写真を添えてベルクでクロアチア展をさせていただきます。(ベ ルク通信vol.232) |
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渡部典(机上工房) http://kjkb.jp/ 渡部典(ブログ) http://kjkb.sblo.jp/ 新宿ベルク(新宿東口から徒歩15秒) http://www.berg.jp/index.htm クロアチア政府観光局 http://croatia.jp/ ラツコヴィッチ・アート・ジャパン http://lackovic-art-japan.info/ |
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